子どもを学校に送り出したあと、静まり返った部屋にひとり。
それは、ほんの一瞬のことかもしれないのに――私のなかにぽっかりと穴が空いたような感覚がありました。
海外では、親が学校まで送り届けるのが一般的。けれど、日本では小学生になると、一人で登校するのが当たり前。
だからこそ、この国での暮らしに慣れていく娘の姿を見ながら、私はふと考えました。
「このまま、娘はどんどん自立していく。じゃあ、私はこれから、どんな役割を果たしていけばいいのだろう?」
それまでの日常は、家族や子どもが中心。家のこと、学校のこと、娘のサポート。
けれど、自分の役割が少しずつ“必要なくなっていく”ことに、安堵と同時に、不安と寂しさが押し寄せてきたのです。
自分と向き合う時間のはじまり
そんなタイミングで、20年来の友人からこんな問いを投げかけられました。
「雅子さんが思う“日本人らしさ”って何だと思う?」
当時の私は、海外で育った娘を“ちゃんと日本人に戻さなきゃ”と必死で思っていた頃。
その問いは、まるで私の価値観を揺さぶるようでした。
「なぜ“戻す”必要があるの?」
「“日本人らしさ”って誰が決めたの?」
そう問い返されることで、自分がどれだけ“こうあるべき”に縛られていたかに気づきます。
その友人が言ってくれた言葉も、私の背中を押してくれました。
「それを学ぶことが、あなた自身のためになるかもしれないよ」
そこで、私は心理学を学び始める決意をしました。
すぐには踏み出せず1年以上、「本当に私にできるのか」と悩み続けたけれど、それでも学びたいという気持ちは変わらなかった。
講義の日も、なるべく早く帰るようにしていたのは、「おかえり」と娘を迎えたかったから。
――それが、“母親としての役割”だと思っていたのです。
「寂しいと思ってたのは、私の方だった」
そんなある日、娘に聞いてみたことがあります。
「ママが遅く帰るの、寂しくない?」
「ひとりで留守番、大丈夫?」
娘の答えは、思いがけないものでした。
「別にそんなに寂しくないよ。大丈夫」
その瞬間、私の中にあった“思い込み”が崩れました。
娘は、私がいなくても、ちゃんと自分で過ごせる。むしろ、自分のことを自分でやろうとするようになっていたのです。
例えば、犬の散歩も、自分の責任でこなすようになったり。
以前なら「ママお願い」と言っていたことも、今では「自分がやる」と行動するように。
私が“外の世界”に目を向けはじめたことで、娘もまた“内なる力”を育て始めていたのだと気づきました。
組織に置き換えるなら
これは、家庭だけの話ではありません。
組織でも、リーダーや上司がすべての面倒を見ていると、メンバーの“自立”のタイミングを逃すことがあります。
「困っていそうだから代わりにやってあげる」ではなく、「信じて任せてみる」「時間がかかっても見守る」。
親も、上司も、“支える”という役割から、“手放す”という勇気が求められる瞬間があるのかもしれません。
最後に、あなたへ問いを
あなたが誰かのために「こうしてあげたい」と思うとき、
それは、本当に“その人のため”でしょうか? それとも、“自分がそうありたい”からでしょうか?
――いま、あなたの役割は、誰のために存在していますか?
Stay tuned for the next article!

