私が働き始めたとき、ずっと心のどこかに引っかかっていた想いがあります。
「母親として、ちゃんとやれていないんじゃないか」
娘を残して仕事に出ると、どこかで“母としての完成度”が下がってしまうような、言葉にできない後ろめたさがありました。
けれど、あとになって気づいたのです。
母である私が外で働き始めたことは、結果的に娘の自立のスイッチを押していたのだと。
それまでは、いつでも助けてくれる“便利なママ”がいる環境でした。
たとえば、忘れ物をすれば届けてもらえる、困ったときはすぐに頼れる──。
けれど私が仕事を始めると、物理的に頼れない日が増えていきました。
すると娘は、前日のうちに準備を済ませ、何が必要かを自分で確認するようになっていたのです。
母親としての「不完全さ」を嘆くのではなく、そこに“自立の入口”があったことを、私は少し遅れて知りました。
「母」という経験が、人を育てる仕事につながった
初めて外で働いたのは、大学生向けの就職支援の仕事でした。
選考理由を聞いたとき、「叱咤激励ができる、母のような存在を求めていた」と言われたのを今でも覚えています。
私はそれまで「子育てしていた数年間」は、履歴書の“空白”になると思っていました。けれど、その期間で身につけた感覚や視点──たとえば、本人の可能性を信じて待つ力、適切なタイミングで励ます言葉、厳しさと優しさのバランス──は、思った以上に職場でも活かせたのです。
社会では「ブランク」とされがちな子育ての時間が、実は“人材育成の修練期間”になっていた──そんな視点の転換が、自分自身を支えることになりました。
「母のまなざし」は、他者育成にも作用する
何があっても子どもを守る。そう思えるのは、たぶん「母親だから」という側面があります。
それとまったく同じ熱量で他者に接するのは、正直難しいこともあります。
でも、自分の子どもを育てた経験があるからこそ、他者の“育ち”に対しても、ほんの少し優しいまなざしで関われるようになった気がします。
「この人も、自分なりに頑張ってきたんだろうな」
「今はうまくいかなくても、きっと成長していくはず」
そんな眼差しを、私は子育てから学びました。
対話を通して、相手の世界を理解しようとする力
また、子育ての中で自然と身についたのが「対話する力」でした。
たとえば娘と一緒に観たテレビ番組や映画、本の感想を語り合うなかで、彼女が何を感じたのか、どんな理想を描いているのかを少しずつ知っていく。
考えを押しつけるのではなく、「どう思う?」と聴き、「なぜそう思ったの?」と問い返す。
その繰り返しの中で、相手の言葉の奥にある価値観や背景を想像する力が育まれました。
これは、人材育成の現場においても大きな意味を持ちます。
「母だからこそできる育成」を信じてみる
“母であること”は、社会において時に「制限」として語られがちです。
でも私は、母になったからこそ培われた感覚やスキルが、他者育成において大きな力になると信じています。
子育て経験は、決してキャリアの“中断”ではない。
むしろ、「人を育てる力」を丁寧に磨いていた時間だったのだと、胸を張って言いたいのです。
■最後に、あなたへの問い
あなたが“ブランク”だと思っていた時間、
そこで本当は何を育てていたのでしょうか。
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