コラム

気づきから学びへ

気づきがあっても学びに繋がらないのはなせだろう。

私は長年、気づきがあれば学びに繋がると思っていました(今も思っている部分はあります)。
しかし、最近は気づいてもその気づきを学びに活かせる人とそうでない人もいることを知りました。

 それは何が違うのか。。。

気づきを学びに繋げる間には、習慣化されているか、されていないか
また、どれだけ自分ごととして考えられているのか、
という違いがあるのではないかと考えています。

 私が行っている仕事を言語化するとしたら、無意識が意識できるようになり、
行動に変化を及ぼし未知なる可能性を開放へと導くお手伝いをしています。
別の表現方法で伝えると、無自覚から自覚へ、無関心から関心へ、という表現もできるかな。

 一番難しいポイントは、無意識から意識へのプロセスが一番難しいと考えています。
十牛図でいえば尋牛にあたる部分で、あてもなくただ何かを探し求めている状態でもあり
漠然と不安を抱えた状態と言い換えること出来るかも知れません。

 私が無意識から意識への変化するときは、まず初めに違和感が生まれます。
これは、自分とは違う価値観が目の前に出されたからだと考えます。
その違和感がどこから来ているのかという問いを立て、そして仮説を立てます。
その仮説と検証を繰り返し
行うことで、結果学びに繋がっているのではないかと考えています。

皆さんはいかがですか。

とはいえ、そもそも無意識(無自覚)に気づくことは必要なのか。
という問いも生まれますよね。

 昨今、社会構造の変化から従来の日本的雇用慣行が変化しつつある中で、個人の認知に着目する動きが激しくなってきているように思います。ある意味自分という存在を明確にする必要性があるような
流れになってきているように感じます。
一方、本当にその探求は必要なのか、という疑問も浮かびます。
なぜなら、本当の自分の本当とはなんなのか、と考えているからです。
ただ、現時点で私が思っていることは、一度この問いに気づいてしまうと、そこから
抜け出せなくなるような気もしています。

 ようこそ、自己探求の世界へ。

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