コラム

2つの「でも」の分かれ道

自由とはなんですか

と問われたらなんと答えますか?
自由と聴くと、「束縛がない」「制約がない」状態を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

 最近出会った本、國分功一郎著「はじめてのスピノザ」には、自由についてこう書かれていました。

    自分に与えられている条件のもとで、その条件にしたがって、
                 自分の力をうまく発揮できること。

        必然性に従うことが自由

  ???なんのことだか。。。とここで思考を止めてはいけません。

 スピノザは、自らの必然性によって存在したり、行為したりする時にこそ、
その人は自由だと言っています。

 例えば、人間には2本の脚と腕があり、腕の動き脚の動きは必然的な法則に課されています。
それ以上を求めることはできません。

 つまり、腕や脚を自由に動かしていると思っているかもしれませんが、必然の法則に従い、それを活かしていることができている状態がスピノザのいう自由だそうです。

 そして、必然性は私たち自身にもわかっておらず、少しずつ実験しながら今以上の自由を手に入れていくことができるとのこと。

 この流れから、楽習コミュニティメンバーでもあるAさんのことを想い出しました。

Aさんは、企業の人事部に所属し、人材育成支援をされています。
彼女と1on1を行った際、彼女の中に2つの意味を持つ「でも」が存在することが分かりました。
それは、振り出しに戻る「でも」と突き進む「でも」があることに。

もちろん、彼女は突き進む「でも」をよく使用していました。

 例えばこんな感じです。

B「●●を行うにあたり、▲▲が足りないからやっぱり無理ですよね」
A「でも、■■という考え方もありますよね」
 という感じに。

 A さんは、スピノザが言っている必然性に従った自由を意識していたかどうかは知りませんが、
実験しながら新たな自由を手に入れていたことは間違いありません。
そして、Aさんの「でも」を活かすことができる環境があったことも事実なのでしょう。

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