1人だけで語り続けることには限界があるため、
このコラムを知人に読んでもらいながらフィードバックという形で
違和感や疑問をもらってます。
今回は、こんな問いをもらいました。
「やっぱり、兵藤さんの教育が良かったからじゃない?」
この問いについてリフレクションをしてみました。
“良かった教育”とは何か?
「やっぱり、兵藤さんの教育が良かったからじゃない?」
これは、以前もよく聞かれることが多い問いでした。
たしかに、娘はいま、自らの興味関心を軸に進路を選び、学び、挑戦しています。親の目から見ても、「自律しているな」と感じる瞬間が多い。
けれど、だからといって「成功した教育」と言い切れるとは思っていません。
なぜなら、計画通りにいかないことが、人生だと考えているからです。笑
幼少期の“トップダウン型”:守らせることで型をつくる
娘が幼かった頃、私は完全に“トップダウン型”の親でした。
3歳でヴァイオリン、4歳でピアノ。
毎朝、学校や幼稚園に行く前の練習は日課で、週末も旅行先でも欠かさない。まさに“スパルタ”でした。
「続けることが自信につながる」
「一つの道を極める経験をしてほしい」
そんな想いで娘を導いていましたが、以前のコラムでも書きましたが、
私自身が姉に憧れていた感覚の投影でもありました。
今振り返ると、この時期は“守・破・離”の「守」。
親が型を示し、それをひたすら“守らせる”フェーズだったのだと思います。
そのおかげか、今も娘はコツコツ努力を重ねる姿勢を持っている。
そういう意味では、「型」はしっかり身についたのかもしれません。
違和感から“サーバント型”へ:自律性を引き出す
転機は、「違和感」でした。
これまでのコラムでも書いた通り、娘から返ってきた問いや視点にハッとさせられる場面が重なり、
私は徐々に“導く”立場から、“支える”立場へと変わっていきます。
たとえば、娘が自ら「ライフイズテックに通いたい」(https://life-is-tech.com/)と言い出したとき。
プログラミングに夢中になり、学校の文化祭でホームページをつくったり、ノーカット動画を編集したりと、夢中で“ものづくり”に打ち込んでいく姿を見て、私は一歩引いて見守ることの大切さを知りました。
この時期から、私は「どうしたい?」と問い、
娘は「こうしてみたい」と応え、
親子の関係性が“伴走型”に変わっていったのです。
成功かどうかは、誰が決めるのか?
もし、「成功」の定義を“偏差値”や“進学実績”に置くのであれば、我が家の子育ては評価されないかもしれません。
けれど、私は今、娘が「自分の興味に沿って学び、挑戦し、自分で考えて進路を選んでいる」ことそのものが、
キャリア自律の一歩であり、それを“成功”と呼びたいと思っています。
子育ても、組織の人材育成も同じです。
「良い上司だった」「良い育て方だった」と言われることは嬉しいけれど、
それ以上に、目の前の人が「自分で選ぶ」「自分で決める」ことを支えられたかどうかが、何より大切なことではないでしょうか。
最後に、あなたへ問いを
私たちはつい、「成果」や「結果」を“成功”と結びつけたくなります。
けれど、本当にその人が「自分で選び取った」と言える過程はあったでしょうか?

