娘が中学校に通っていたある日、「高校は違う学校に行きたい」と相談されました。
同じ系列の高校に進むこともできたのに、なぜ?と戸惑いを隠せなかった私。友人関係はうまくいっていたように見えたし、成績も安定していた。何より「ここが合っている」と、親の私が勝手に思い込んでいたのです。
けれど、娘には娘なりの理由がありました。校則の厳しさ、先輩後輩の理不尽なルール、何かが違うと感じていたこと。それを、時間をかけて一つずつ話してくれたのです。
私は「今のままでいいじゃない」と言いたくなる自分の気持ちを、なんとか飲み込みながら、娘の言葉を“聴く”ことに徹しました。受け入れることと同意することは違う。でもまずは、相手の世界を理解することからしか始まらない。
最終的に、娘は転校を選びませんでした。でも、親が決めたのではなく、娘自身が考え、行動し、納得して選んだ結果でした。
この経験から、私は「聴くこと」は育てることなのだと実感しました。
親が“聴く”ことで、子どもは自分の人生を生き始める
以前の私は、違う意見を聞くだけでつい反射的にダメ出しをしてしまうことが多々ありました。「でも、それって…」「あなたにはまだ早い」と、相手の話を最後まで聞かずに、自分の考えに誘導してしまう癖があったのです。
けれどこのときは違いました。
私自身も、子育ての中で「親の考えと子どもの考えは違う」という前提を、ようやく持てるようになっていたのだと思います。“聴く”ことに徹した結果、娘は安心して自分の気持ちを語ってくれました。そしてその対話を通じて、自分で考え、選ぶ力を育てていったように感じます。
組織でも同じ。“聴くふり”では育たない
これは、育児に限った話ではありません。
私は現在、キャリア支援や人材育成にも関わる仕事をしていますが、組織の中で行われる1on1でも同じことが起きています。
「よく聴く上司」と見せかけて、実は自分の経験から来る“正解”を押し付けている場面が少なくないのです。「私はこうしてきたから、あなたもこうすべき」というアドバイス。それは、聴いているようで、実は自分のフレームの中に相手を当てはめているだけかもしれません。
フィードバックや対話の目的は、相手の自律的な成長を引き出すこと。そのためには、まず“自分の声”を一度脇に置き、相手の話を真正面から受け止める力が必要です。
教えることと、聴くことのバランス
もちろん、育児にも仕事にも、「教える」場面は必要です。危険を避けるために、道筋を示すために、経験から語ることが役立つ場面もある。
でも、常に「正解」を与えることが育てることではありません。
子どもも部下も、「こう思った」「こうしてみたい」という言葉を発したとき、それをどう受け止めるかで、その後の関係性や成長の質は変わっていく。
親である私が、“教える”から“聴く”へと少しシフトしたとき、娘との距離が縮まり、信頼も深まっていきました。対話の力を、私は娘との日々の中から学んだのです。
最後に あなたへの問い
あなたは、「聴くつもり」で、実は「決めつけた」聴き方をしていませんか。
あなたの意見はどこから生まれてきているのでしょうか。
Stay tuned for the next article!

