日本への帰国。
それは私たち家族にとって、新しい環境への適応という大きなプロジェクトの始まりでした。慣れない土地、慣れない通学路。親である私がまず考えたのは「リスク管理」です。
「何かあった時のために、携帯を持ってほしい」
それは親としての愛情であり、あまりに正当な提案のはずでした。しかし、当時中学3年生だった娘の反応は意外なものでした。「いらない。持ちたくない」。
彼女の理由は明快でした。「携帯を持つと、それに縛られる気がする。もし無くしたら、お母さんに怒られる。そのプレッシャーを感じるくらいなら、持たないほうが自由でいい」。
そこから、私と娘の「忍耐」の日々が始まりました。
ある時、娘がITキャンプに参加した際のことです。スケジュールによれば、彼女はすでに東京駅に到着し、自宅に向かっているはずの時間。なのに、一向に連絡が入らない。
心配になった私は事務局に電話を入れました。スタッフの方は親切にこう言いました。 「お母様、お嬢様の携帯に直接ご連絡をとっていただけますか?」
私が「娘は携帯を持っていないんです」と伝えると、電話の向こうで一瞬の、しかし確かな沈黙が流れました。ITキャンプに参加する中学生が、まさか携帯を持っていない。その事実が、現代の「常識」の外側にあることを物語る沈黙でした。
結局、娘は大幅に遅れての連絡。私の心配をよそに、彼女は彼女なりの方法で、公衆電話の場所を把握し、テレホンカードを持ち歩き、「不便さ」を受け入れての生き方を手にしれていたのでした。
親が子へ期待する「安心」を手に入れなかったからこそ、彼女の中に「どうすれば確実に繋がれるか」という主体的な知恵が芽生えたのだと思います。
忍耐はどこまで続くか
正直に言えば、私の忍耐は、彼女の意思を尊重するという高尚なものだけではありませんでした。「もし道に迷ったら」「事件に巻き込まれたら」……次々と湧き上がる自分の不安を抑え込むための忍耐です。私は娘を安心させたいのではなく、娘に携帯を持たせることで「自分が安心したかった」のだと気づかされました。
組織界隈でも
私たちはビジネスの現場でも、ついつい「安心(管理)」を優先してしまいがちです。ルールを細かく決め、常に状況を報告させ、先回りして失敗の芽を摘む。しかし、それは相手の「知恵」を奪い、「自律」の機会を奪うことと同義なのかもしれません。
あえて管理を手放す。そこで試されるのは、相手の能力ではなく、実は「信じて待つ」というこちらの忍耐強さなのです。
最後に、あなたへの問い
ついつい先に手を伸ばしてしまったことはありますか
その時、相手のどんな知恵を奪い取ってしまったと思いますか
Stay tuned for the next article!

