小さな世界で生きていた、あの頃
私は、田舎の小さな町で育ちました。
親戚や友人はみな地元に暮らし、公立・県立の学校に進み、大学も就職も“地元”が中心。
それが、当たり前で、疑うこともなく、むしろ安心でもありました。
「地元の高校に行って、県内の大学へ」「有名企業や安定した会社に入るのが勝ち組」
そんな空気が日常の中にあり、周囲の大人たちも口をそろえて「いい学校に行けば将来は安泰」と言っていました。
特別な意図があったわけではなく、“良かれと思って”のアドバイス。でも、それが私の判断基準になっていきました。
当時はそれを「狭い世界」とは思っていませんでした。
それが“世界のすべて”だったからです。
メディアと学校がつくる「正解ルート」
もう一つ、私の中で大きかった影響は、学校教育とメディアからの刷り込みです。
小学校の時から、「いい成績を取れば、いい高校、いい大学へ」という一本道が提示され、
先生たちも当たり前のようにその進路を応援してくれました。
加えて、テレビや新聞、雑誌、そして受験情報誌などのメディアが発信する情報は、
偏差値や合格実績、進学先のランキングにフォーカスされ、「〇〇大学に入った=すごいね」と賞賛される世界。
気づけば、私の中には「学歴が高い=優秀」「いい大学に行けば、幸せな人生が待っている」という前提が、
自然と根付いていたのです。
地域社会がつくる“目に見えない期待”
地元のコミュニティのなかでも、進学や就職先は“親の評価”と直結していました。
「〇〇ちゃん、○○大学に行ったらしいよ」「すごいね」「さすがだね」
そんな何気ない会話が、まるでステータスのように語られていく。
学歴や就職先が、“親としての誇り”や“家庭の格”に影響を与えているような雰囲気がありました。
これは、組織の中にも似た構造があります。
たとえば、昇進や配属先に対して、上司が「これがキャリアの王道」「みんなこのルートを通ってきた」と語る場面。
でもその背景には、自分がかつて歩んできた道や、成功体験が色濃く影響していることも多いのです。
私もまた、自分が信じてきた「安心・安定」のルートを、娘にも歩んでほしいと無意識に願っていました。
それが、のちにすれ違いや違和感を生むことになるのですが……
この時の私は、まだそのことに気づいていませんでした。
最後に、あなたへ問いを
私たちが「こうあるべき」と信じている道は、
本当に自分自身が望んだ道なのでしょうか?
それとも、いつの間にか植え付けられた“前提”の上に立っているだけなのでしょうか?
— あなたが信じてきた「正解」は、どこからやってきたものですか?
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