「3歳でバイオリン、4歳でピアノ。音楽大学を目指す娘の夢を、全力でサポートしていた――」
そう語ると、私はとても意識の高い親のように見えるかもしれません。けれども、そこにあったのは、無自覚な“刷り込み”でした。
私は、幸せな人生を送るには“良い大学に入ること”が大前提だと、心の底から信じていました。お受験も、習い事も、その道筋の一部。
つまり、正解の人生=偏差値の高い学校に進み、良い企業に就職し、安定した未来を手に入れること。そんな“成功パターン”を、なんの疑いもなく子どもにそのままなぞらせようとしていたのです。
自分のものさしに気づけなかった私
振り返ると、私は親から言われたことを素直に信じてきた子どもでした。
「勉強しなさい」「これが正しい」と言われれば、迷いなくその通りにする。親の価値観が、そのまま私の判断基準になっていたのです。
実は、私が“自分のものさし”という視点を持ち始めたのは、40歳を過ぎてから。
それまで私は、自分自身の“判断”ですら、誰かの“正しさ”の中にあると思い込んでいました。
いわゆる“反抗期”のようなものもなかった。
だからこそ、自分の「当たり前」を一度疑うまでに、かなりの時間がかかってしまったのかもしれません。
学歴コンプレックス”が私の背中を押した
私には、正直なところ学歴コンプレックスがありました。
だからこそ、自分の子どもには、より良い教育環境を与えたい、より広い可能性を持ってほしい、そう願っていました。
極端な話、「自分にできなかったことを、娘には叶えてほしい」と無意識に思っていたのだと思います。
その“願い”は、ときに“押しつけ”に変わっていたかもしれません。
「この大学はどう?」「この学校は実績もあるよ」
私は娘にそう提案しては、自分の経験と知識の中から“良さそうな選択肢”を並べていた。
けれどある時、娘が口にした「なぜ文理選択しなければいけないの?」という疑問に、私はハッとさせられます。
「自分は、文系も理系も両方学びたいのに、なぜ分ける必要があるの?」
その問いは、今まで私が抱いたこともなかった“当たり前を疑う視点”でした。
子どもが自分の“ものさし”を持ち始めた瞬間
以前の私だったら、
「仕方ないでしょ」「それが学校の仕組みだから」と答えていたでしょう。
けれどこのとき私は、娘の“違和感”に向き合うことを選びました。
「たしかに、どうして文理って分けられてるんだろうね?」
「選ばなかったらどうなるんだろう?」
そうやって“答えを出す”のではなく、“問いを一緒に深める”スタンスで接してみたのです。
すると娘は、自分でリサーチを始め、「文理をまたいで学べる大学があるのか?」という新たな問いを立て、国内外の大学を自ら調べ出しました。
このとき、私は確信しました。
――ああ、もうこの子は、私の“ものさし”では測れない世界を、自分のペースで歩き始めている。
私がすべきことは、前から導くことではなく、後ろからそっと支えることなのだと。
親として、どこまで“任せる”か
当時の私は、まだ海外の大学なんて夢のまた夢と思っていました。
けれど私はまず、「お金のことは今は気にしなくていいから、まずはとことん調べてみて」と伝えました。
「不可能かどうかは、動いてみないとわからない」
それは、私自身がこれまで学びのなかで得た姿勢でもあります。
子どもの“問い”を引き出し、見守る。
そこに、育てる側の成長があるのだと、この経験を通じて深く実感したのです。
最後に、あなたへ問いを
私たちは、気づかないうちに、自分の“ものさし”で子どもや部下を測ってしまいがちです。
けれど、自分の「正しさ」がすべてではないと知ったとき、初めて「引き出す関わり」が始まるのではないでしょうか。
― あなたは今、どんな“ものさし”で大切な誰かを見つめていますか?
Stay tuned for the next article!

